先輩の自転車に対する情熱から

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およそ1年前、自分の身につらいことが起こってしまいました。

その件は自転車とはなんの関係もないことでしたが、自分にとってはそれは、精神的にそれ以降自分の趣味や生活どころではなくなってしまうきっかけでした。

時期が冬に差し掛かったこともありますが、季節的に外を走らなくなるだけではなく、私の自転車はこの時期を境に、中で乗れるはずのローラーも、中でできるはずの整備も、すべて気が進みませんでした。
どんな感情も押し殺し黙々と案件を処理する、というだけの時期を半年ほど過ごしていました。

そんなとき、ある知人の先輩が亡くなりました。
その先輩は自分とさほど年が離れてない、ということもありましたし、以前その先輩のことを人づてに伺った時には、先輩は自転車が趣味だということと、またその時は入院していると聞き、いつかまた会えるときには自転車の話をしたいなぐらいに思ってたところだったので、大変な衝撃をうけました。

通夜に参ると、祭壇には遺影とその両脇に今にも走りだしそうなぐらいよく整備されていたMTBとTTバイクが置かれ、今にも先輩が走り出しそうな情熱が会場を照らしていました。

そして参列者には、先輩が生前寄稿なされた闘病記が配布され、読むことが出来ました。
その内容は、闘病中に誘われていたヒルクライムイベントへの参加を通じ、長く病気と闘ってきて、今という瞬間が大切だと思うようになった経緯、というものでした。

病気と闘いながらも自転車を楽しむ…

好きで楽しめたことが、背負ったハンデで思う存分出来ない。
その葛藤とはどんなものだったのか。
自転車という、私も好きなものなので、その想像に難くありませんでした。
さらにその葛藤と折り合いをつけた経緯に心を打たれ、先輩の逝去が本当に惜しまれました。

家に帰り改めてその闘病記を見て、自分の身に置き換えてまた考えてみました。
確かに今自分の置かれている状況は大変かもしれないが、まだ自分は生きていることが出来ます。
大事なことをあきらめるかどうかは自分の気の持ち様なんだととらえることが徐々に出来るようになりました。

春になってからは少しですがまたローラーに乗り始め、 また知人がロングライドのコースを事前に試走するのにも参加させてもらったりしました。

闘病記は自転車整備の棚の上の壁に掲げ、自転車をいじるときに目に触れるようにしています。
目に触れる都度力を貰え、この半年の私を励ましてくれます。

ようやくこのブログも再開出来ました。

自転車への気持ちを前へ向けることが出来るようになってきた先輩に感謝し、先輩の分も自転車を楽しみます。